労働力という商品

過去記事。

労働力は商品だ、って話で、サウザーラジオのほうではつるっと通過して行く箇所。

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先に結論めいた事を言ってしまうのだけど、労働者は、お金と交換できる商品は、労働力しか持っていない。

もし仮に、ある労働者が、今の職を失って収入の道が途絶えたとすると、まず何を考えるかと言うと、仕事を探す事を考える。人を集めて商品やサービスを作って売ろう、とは考えない。労働者がお金と引き換えに出来るものは、労働力のみ、とは、そう言う事だ。働く以外にお金を得る方法が無い人を、労働者と言う。

都市部で勤め人をしていると、生涯に1粒の米も作ることなく、それでも欠かさず日に三度の食事にありつくことが出来る。それはお金と食料を交換できる仕組みがあるからだ。お金が媒介となっている。

 

と言う事はつまり、一粒の米も作らない勤め人は、お金が無いとメシを食えないという事である。メシが食えないと、腹が空いて生きていけないから、生きるために職を探して仕事して、食べ物を買うために賃金を稼がなければならない。飢えたくないなら働く。

それがこの世界の掟である。

 

しかし、この世界の裏側には働かなくても生きていける人がいる。
なぜかと言うと、その人は、働かなくてもお金を得る手段を持っているからだ。
お金を得る手段とは、商品やサービスを作って売る事で、その人は自身の労働力を売らなくても、自分が企画・開発・製作した商品を売って、お金を受け取ることが出来る。お金を持っていれば、食べ物や住む場所その他の生活を便ずる商品を買うことが出来る。

資本家とか事業者という人のことだ。まあ資本家のことは傍に置いておこう。

 

労働者は、労働力を売ってお金を得て、身体と精神を維持するためにお金を遣う。

 

激務の勤め人はなんでキツイかと言うと、収支が赤字だからだ。

貰った給料では回復できないダメージを仕事で受けてしまい、給料を全部遣っても回復できない。貯金がある人はそれを切り崩し、貯金がない人は消費者金融に手を出す(けっこういた)。

 

その伝で言うと、給料がさほど高くない仕事で貯金できる理由は、黒字だからだ。

疲れないから、回復のために変な消費をしなくていい。

 

今や有名上場企業や高級公務員でもない限り、終身雇用も年功序列も実質では崩れていると思う。

だから給料がそこそこな企業は過度な愛社精神とか帰属意識を求めてこない。会社とていつまで続くか分からないじゃないか、と言う醒めた雰囲気が共通理解になっていて、実に息がしやすい。

 

まずは働き方を『黒字』にするところから。

そこから次の打ち手へと派生する。

 

思うに、会社員として我慢に我慢を重ねて働いて、年金を貰って引退という人生設計はどう考えても不可能だ。

年金なんか、無い。絶対無い。現役10人が年金生活者1人を60−65歳までの5年間だけ支える、というモデルが原型となってる。制度設計が根本的に狂ってるのだ。何をどういじっても維持できるわけがない。子供でもわかることだ。分からないのは大人だけ。

 

ブラック企業にしても激務高収入の仕事にしても、仕事を「懲役」と捉えている。それは、定年後に奴隷から解放されることが前提となっているからだ。だが、もう「解放」されることは無いのだから、働き方そのものを考え直さねばならぬ、というのが僕の主張である。

 

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過去記事ながら、全く主張にブレは無くて『未来の僕』が口をはさむ所は無い。

これぐらいの文量でサラッと読める記事にしていくことも大事だな、と逆に学ばせてもらうぐらい。

(参考)併せて読みたいってやつ。
・(旧記事)ハイスぺ高収入の勤め人は現代の奴隷
・(旧記事)なんのために働くのか
・勤め人システムのたそがれ