ああじゃこうじゃ言い訳するんならそれ日記に書け、言い訳してる自分が客観的に見えてきて猛烈にダサくなる 日記のすすめ②

旧アメブロ記事を復活。この日記シリーズ、けっこう多くの人に影響を与えてるらしいにょ。

 

ちなみに前回はこちらッ!

 

—以下本部—-

たとえば人間の暗算能力などはたかが知れている。

せいぜい一桁か二桁の計算ぐらいであろう。

計算した結果を覚えておくにも難がある。

人はすぐに忘れてしまうからだ。

 

ところが、紙とペンがあるとどうだろうか。

筆算ができる。

手間ではあるけど、複雑な計算もできるようになる。

出した答えも記録しておける。

 

問題は、大人になるとちょっとした計算にいちいち紙とペンを引っ張り出して、書き書きする手間を惜しむようになることだ。精神の老化と言うやつである。

もう一つは、机が無い、と言うことである。自分の机を持たない(捨てた)言うことは、机が人間の精神に及ぼす影響をひどく軽視していている証拠でもある。そう言う人は、本も読まないだろうし、いわんや紙にペンで物を書くにおいておや、である。

 

自分の気持ちや感情を記録する習慣が無いと、どれほど自分の決意や意志があてにならないものか、観察して知る機会がない。感情はいかに転々としていくか、決心はいかに体調や精神の影響を受けるか、記録をして定点観測する習慣が無い限り、人間は人間の物忘れの激しさを客観的に知ることはない。

 

今年は英語を勉強する!

今年はダイエットする!

 

間抜けはそうやって正月に宣言する。毎年だ。

結果は知っての通りで、何事もなすことなく、また次の正月に決意だけ新たにする。

そうして自分と交わした約束を、全然守れない自分を見せつけられる。

自分を信じられなくなる。

そりゃそうだろう。やるやる言って、毎年全然やらない奴を信じろと言う方に無理がある。

そしてダメな自分にうんざりしたその気持ちも、すぐに忘れる。

 

決意を忘れる。

これは、紙とペン以前の問題として、机に座る習慣が無い人に顕著だと思う。

習慣的に家に帰ると無意識にテレビをつける、手持ち無沙汰になると無意識にSNSを見たり無料の(課金)ゲームする。

今その瞬間の快不快が不断に更新されていく時間軸があって、ただそれに動物的に反応するだけだ。訳がわからないまま無力感に支配されて人生は終わる。

頑張っている人が妬ましいのもこの人たちで、いつもネットで著名人を叩いて勝った気になる。

 

仕事で机に座る人、自宅の書斎の机に座る人、机は置かない代わりにカフェに通う人、その形は様々である。

だから机に座る仕事をしていないことは、なんの言い訳にもならない。家に机置けば良いし、スペースが無いなら喫茶店通えばいい。

 

手帳、ノート、日記帳などに書き付けた夢や目標や決意を、いつでもどこでも見返すのである。書く場所は、机以外にはない。

忘れないために全く同じ内容のものをもう一度書き直して更新するのもいいだろう。

 

意志を継続させる人は、忘れないようにしているのである。

 

つづく。

次は演算の難易度予測について。